「こういうのでいいんだよ、こういうので」
という感想は、誰しもが一度は抱いたことがある感想であると同時に、かなり使い勝手がよく、あらゆるシーンで使える万能さをあわせ持っている。
漫画「孤独のグルメ」から飛び出し、ネットミーム化したこの一言だが、一方でこの「こういうのでいいんだよ、こういうので」という褒め表現は、かなり賛否両論ある表現でもある。
つまり使い方を間違えれば、批判の的になる可能性すら秘めているのだ。
そこで本稿では、普段家族のために料理を作っている300人を対象に、「こういうのでいいんだよ、こういうので」はどのように聞こえるのか?の調査をすることにした。
最初に本調査の結論をお伝えしておくと、このようになる。
▼本調査のまとめ
・「こういうのでいいんだよ、こういうので」という感想は賛否真っ二つ
・好意的に受け取る人の理由は、感想のリアルさと心が軽くなることを好感
・ネガティブに受け取る人は、評価目線のやらしさと普段の料理を切り捨てた言い方に反発
・レシピサイトの普及で「アレンジ疲れ」が生じている背景も確認
では、じっくり「こういうのでいいんだよ、こういうので」を取り巻く状況を確認していくことにしよう。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」とは?元ネタは「孤独のグルメ」
まず「こういうのでいいんだよ、こういうので」という言葉の元ネタは、ここ10年以上大人気ドラマシリーズの座に君臨し続けている漫画「孤独のグルメ」である。
同作の主人公、井之頭五郎がシンプルな昔ながらのハンバーグランチを食したときに出てきた心の中の台詞(感想)だ。
「ほーいいじゃないか。こういうのでいいんだよ、こういうので」(第12話)
この「こういうのでいいんだよ、こういうので」という表現は、多くの視聴者に深く刺さったらしく、孤独のグルメという枠を飛び越え、使われるシーンも拡大し続けている。
ざっとXで検索しても、近年複雑化が進むゲーム界隈のなかでシンプルなゲームに対する称賛や、深夜のジャンクな食事、単に自分がほしいフィギュアなどに対して「こういうのでいんだよ、こういうので」という表現が使われているのが確認できる。
もはや単にポジティブな感想として、ミーム化してしまったと言っても過言ではない。
確かに筆者自身も日常生活のなかで「こういうのでいいんだよ、こういうので」と感じるシーンは少なくなく、直近では前日の夕飯に残ったお米で妻が握ってくれた「ごはんですよ」を具にした朝食のおにぎりに、この感想を強く抱いている。
この「こういうでいいんだよ、こういうので」という表現は、高度消費社会において、ほか商品との差別化をアピールしたいだけの「無駄な多機能グッズ」や、シリーズ作という名でよくわからない設定がいたずらに追加され複雑化していく「ゲーム」、「映え」を狙って余計なものがてんこ盛りになった行き過ぎたアレンジ料理が溢れる現代を皮肉った、絶妙なひと言といえるかもしれない。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」を料理を作った人はどう受け取るのか?
では次に、「こういうのでいいんだよ、こういうので」という感想を、その料理を作ってくれてた人はどう受け取るのか?を見たい。
家族のために普段料理をしない筆者からすれば、100%称賛の意味で使っているが、現実はそう単純ではない。
結果は、少なからず好感を覚える人50.6%、少なからず不快に感じる人49.3%で、賛否が真っ二つに割れる結果となった。
「かなり嬉しい」(13.3%)と「かなり不快」(14.0%)の割合を見てもほぼ同数となっており、「こういうのでいいんだよ、こういうので」をかなり好意的に受け取る人と、強い反感を覚える人がほぼ同じ割合いることになる。。
以下、好意的に受け取る派と不快に受け取る派の双方の意見を深掘りしてみることにしよう。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」を好意的に受け取る人の意見
まず「こういうのでいいんだよ、こういうので」を好意的に受け取る人は、このような理由が目立った。
「純粋に料理を褒めてもらえたと思うし、家族だからこその感想だなと思うからです。飾った感じがなく、本心で美味しいと心から思ってくれているように感じます」(41歳女性)
「単に「おいしい」よりも口に合ってハマったんだなと感じられるから。わが家の家庭料理の定番が決まったなと思う」(35歳女性)
つまり感想としてのリアルさを好感する声だ。
あえてうがった見方をすれば、確かに作ってくれた料理に「おいしい」というとき、作ってくれた人への「感謝込み」で言っていることが、誰にでもあるはずだ。
過去に何度か料理への感想で揉めたことがある夫婦やカップルなら、ちょっと気になるところがあっても面倒を避けるためにとりあえず「おいしい」で無難に済ませておく、ということも十分に考えられる。
つまり家族であっても、むしろ家族であるからこそ料理の感想を、ホンネで言っているとは限らないのだ。
また料理を作っているほうからしても、何を作っても毎回「おいしい」という感想が返ってきたら、モヤっとするものがあるはずだ。
その点、「こういうのでいいんだよ、こういうので」というのは、リアルなその人の心の叫びに聞こえる。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」を好意的に受け取る人には、その感想のリアルさを好感する声が多かった。
またこれと同時に、「こういうのでいいんだよ、こういうので」を好感する声にはこのような現実的な理由も目立った。
「手間がかからない料理で喜んでくれるなら、作る方としては楽だから」(33歳女性)
「栄養バランスや彩りなど手を込んだものを出さなくては…という変な呪縛から解き放たれる気持ちになるから」(41歳女性)
料理に対する向上心自体は、なにも悪いものではない。
だがそれが「この前よりも、もっとおいしいものを作らねば!」という強迫観念になり始めると、勝者なきレースの様相を呈し、自身が不幸にしからない状況を招いてしまう。
また毎日家族の料理を作っていると、家族から不評をもらうことも必ず出てくる。
そこで「手の込んだ料理を作ってないからだ!」などと解釈してしまうと、これまたサボりを許さない己との戦いに巻き込まれる羽目になる。
そんなときに「こういうのでいいんだよ、こういうので」という家族のひと言に、救いの光を見る人もポジティブ派には見られた。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」を不快に受け取る人の意見
一方で、「こういうのでいいんだよ、こういうので」を不快に感じる人はどのような理由からだろうか?
「「こういうのでいい」という言い方が上から目線に感じるから。またシンプルな料理であったとしても買い物して献立を考えてという手間はかかっているので、とても不愉快に感じたから」(31歳女性)
もっとも目立ったのは、この「上から目線」という理由で、料理を作って「あげている」のにも関わらず、評論家のような顔でものを言われることへの不快感だった。
やや極端ではあるが、ネガティブ派の中には「素人が料理にガタガタ口出しすんじゃねえ!」と、一切の感想を拒む昭和のガンコ親父のお店のような過激派までいる。
「人の料理にダメ出しをするほどの能力や技術をもっているのか?料理の手間を知らないやつが、知ったような口を利いていることがよくない」(28歳女性)
もし料理に詳しくない人がなんの感想も言ってはいけないなら、「食べログ」などの口コミサイトはこの世に存在してはならないものになってしまい、いささか過激に聞こえるかもしれない。
だが実際には「食べログ禁止」というルールを設定している飲食店も、少なからず存在する。
つまり身銭を切っている飲食店ならまだしも、家族のために料理を作っている人の料理を評価する目線自体そのものがやらしいという意見だ。
「作ってもらった料理に対して「感謝」ではなく「評価」するのは不愉快だし、失礼に思う」(34歳女性)
まさに大多数の評価こそが絶対的な正義かのように扱われる評価主義社会の、負の側面を突いた意見といえる。
つまり評価されたいがために料理を作っているのではなく、誰かが家族のために作らねばならないから料理を作っているという人もいるのだ。
これらは食べる側からは見えにくい心情かもしれないが、実際に料理を作っているほうの心情として誰しもが考慮する必要がある。
また、「こういうのでいいんだよ、こういうので」をネガティブに受け取る理由には、このようなものもあった。
「手の込んだ料理を作っている時に評価して欲しいのに、簡単な料理の方が好きと言われてるみたいで、自分の努力を否定されてるようで不快だから」(35歳女性)
これも作り手のエゴと言ってしまえばそれまでなのだが、心情としては共感できる理由だ。
やはりかけた労力には、それに見合った対価がほしくなるのが人情だからだ。
ただ料理は食べる人の気分や腹具合にもかなり左右されるため、3時間かけた濃厚な煮込み料理よりも「あっさりしたそうめんがよかった…」という評価になるケースも十分起こりえる。
いずれにせよ、「こういうのでいいんだよ、こういうので」という言葉は1/2の確率で好感されるし、1/2の確率で不快感を与えてしまう。
あなたに料理を作ってくれた人がどちらのタイプかの見極めは難しいが、怒らせたくない相手に誉め言葉として「こういうのでいいんだよ、こういうので」を使うのは、得策とはいえない。
年齢別では50代以上は「嬉しい」が上回る
ちなみに「こういうのでいいんだよ、こういうので」という感想への好感度は、年齢層別にみると少し差異が見られた。
40代までは「こういうのでいいんだよ、こういうので」をネガティブにとらえる人がやや上回るのに対し、50代以上ではポジティブに受け取る人の割合が増えた。
これが世代による言葉の感性の違いによるものなのか、それとも家族のための料理歴が長くなれば、「こういうのでいいんだよ、こういうので」を好意的にとらえられるようになるのかは、わからない。
少なくとも50代以上の人に対しては、「こういうのでいいんだよ、こういうので」をしっかり誉め言葉として受け取ってくれる可能性のほうが高くなる。
そのため「対・お母さん」への感想では、「こういうのでいいんだよ、こういうので」は真意が伝わる有効な褒め表現となる公算が高い。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」は家庭ではなんと言うべきか?問題
さて前章で「こういうのでいいんだよ、こういうので」を好意的に受け取ってくれる可能性は半分しかなく、万人受けする褒め表現ではないことを確認した。
ではその人の料理を食べて、心の底から「こういうのでいいんだよ、こういうので」という感想をもってしまったとき、なんと伝えれば真意が伝わるのだろうか?
まずもっとも多かったのは、こういう言い方だ。
「いつも手料理を作ってくれてありがとう。おいしいよ。それだけでいい。シンプルだからどうこうの意見はいらない」(40歳女性)
「どのような料理に対しても、おいしいの一言でいいと思う」(66歳女性)
つまり「評論家のような顔をして、私の料理を論じてくれるな」ということになる。
元ネタである「孤独のグルメ」は、それまでの「グルメうんちく漫画」の対局にあり、主人公の五郎は最小限の感想しか言わず、うんちくも一切披露せず、ただ自分が食べたいように食べ続ける描写が斬新なところだった。
その「孤独のグルメ」から飛び出した「こういうのでいいんだよ、こういうので」が、まだ感想を言いすぎていると受け取られるのはなんとも皮肉な結果だ。
先にも触れたが、自分の手料理に「評価」の眼差しを向けられること自体を快く思わない感情は根強いといえる。
またほかの回答者からは、このような言い方が推奨された。
「『こういうの”も”』など、普段の料理を含めたような言い方」(31歳女性)
「「こういうのでいい」ではなく、「こういうのもいい」。「手の込んだものもおいしいけど、たまにはこういうのもいい」という言い方であれば気にならないと思います」(38歳女性)
考えてみれば、家族の料理を作っている人は30歳のときに結婚をして80歳まで生きるとなると、50年間ほぼ年中無休で料理をしていることになる。
1日1回料理をすると仮定すると、なんと18,250食である。
もちろん実際に調理するだけでなく、18,250回も「今日の夕飯は何にしよう?」というモヤモヤと半日ほど向き合い続けているのだ。
多すぎてピンとこない方は、仮に自分が死後閻魔様の前に差し出された際「きみは6歳のときに、落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に入れたね。あれは偉かったね。褒められる善行はそれくらいかな」と言われたら、「ちょっと待て」と言いたくなるだろう。
「こういうの”で”」と、残りの18,249食を切り捨てられてはたまったものではない。
ほんのちょっとしたニュアンスの違いだが、料理の褒め方はそれだけ難しいということなのかもしれない。
さてここまでで「こういうのでいいんだよ、こういうので」を取り巻く、料理の作り手の反応は確認できた。
しかしなぜ「こういうのでいいんだよ、こういうので」という、言葉はここまで多くの人に迎え入れられるようになったのだろうか?
このような言い方が多くの人の共感を得るほど、現代の家庭ではシンプルで素朴なメニューが減少しているのだろうか?
次章では、「こういうのでいいんだよ、こういうので」が多くの人に愛用されるにいたった背景を見ていく。
4割の家庭料理にはアレンジレシピが頻出
「こういうのでいいんだよ、こういうので」は本来、シンプルで素朴な原点回帰をしたようなものに対する称賛の言葉だ。
料理に関しても、かつてはレシピ本を購入したり、母から伝授されるくらいしか手近な情報源がなかったわけだが、クックパッドやYoutubeが普及して、レシピ情報やアレンジレシピは、誰でも気軽にアクセスできるものになった。
そこで思いつくのは、こうしたレシピ情報の氾濫が多くの家庭料理に及び、過剰な「アレンジ疲れ」のようなものを各家庭に生じさせているのではないか?という点だ。
実際に筆者も夕飯の希望を聞かれ「ハンバーグが食べたい」と言って楽しみに半日を過ごし、帰宅すると豆腐を混ぜたふわふわアレンジのハンバーグが出てきて落胆したことがある。
作ってくれた妻には申し訳ない限りだが、筆者が思い描いていたのは無骨でゴツゴツした、テキサスの荒野にそのままごろりと転がってそうな実直なハンバーグであり、ふわふわアレンジとは真逆のハンバーグだった。
そこでクックパッドのようなレシピサイトを参考に、定番料理のアレンジレシピを作る頻度を聞いた結果が下図だ。
「かなりある」(17.3%)と「ややある」(数日に1回程度、29.0%)を合わせた実に46.3%もの回答者が、結構な頻度でレシピサイトのアレンジレシピを作っていることがわかった。
これに「たまにある」(45.0%)を合わせると、実に9割以上の家庭でアレンジレシピが作られていることになり、素朴でシンプルな定番メニューのシェアを奪っていることが推測できる。
もちろん飽きない工夫をしてくれているわけで、本来なら有難がるべきところではあるが、問題は割合である。
定番レシピの割合より、アレンジレシピの割合が上回りだしたら、それはもうアレンジレシピとは言えなくなる。
そもそもアレンジレシピがアレンジレシピであるゆえんは、定番化できないクセやパンチの強さがあるからアクセントになるのであり、そのインパクトの強さゆえすぐに飽きやすいという宿命を負っている。
もちろん作っている側の目線からすれば、毎回同じレシピで作る退屈さは理解できる。
実際に定番メニューを調理することの退屈さを聞いてみると、7割以上が飽きを感じていることが判明している。
それゆえに作り手側からのアレンジレシピへのニーズは根強いとも考えられるが、作る楽しさと食べる楽しさはまた別物だ。
こうした背景から「こういうのでいいんだよ、こういうので」という井之頭五郎のひと言は、多くの人の心をとらえたのではないだろうか。
まとめ
以上が2024年時点の「こういうのでいいんだよ、こういうので」を取り巻く状況を調べた調査結果だ。
最後におさらいがてら本調査の結論をまとめておくと、このようになる。
▼本調査のまとめ
・「こういうのでいいんだよ、こういうので」という感想は賛否真っ二つ
・好意的に受け取る人の理由は、感想のリアルさと心が軽くなることを好感
・ネガティブに受け取る人は、評価目線のやらしさと普段の料理を切り捨てた言い方に反発
・レシピサイトの普及で「アレンジ疲れ」が生じている背景も確認
家族のために毎日献立を考え、料理を作ってくれている人に対して「こういうのでいいんだよ、こういうので」はベストな褒め表現ではない。
ただ、炒飯や寿司をはじめシンプルな王道メニューほど、料理をする人の腕の差が出やすいという面もある。
「こういうのでいいんだよ、こういうので」には、そのシンプルなレシピ自体への好感だけでなく、そのシンプルなレシピをおいしく調理した人への称賛が含まれていることも覚えておいていただきたい。
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